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【今日は何の日】8月13日におこった出来事&日本の風習

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とりコレ3行まとめ

  • 1521年:コルテスがアステカ帝国の都テノチティトランを陥落させた日!

  • 1961年:東独がベルリンを封鎖、「有刺鉄線の日」とも呼ばれる。

  • 日本では月遅れの迎え火で先祖を迎える風習も。歴史と季節感がズバ抜けてる日!


今日は「歴史&文化のクロスロード」な8月13日!

8月13日と聞いて、「あれ?何かあった日?」と思う人も多いはず。
実はこの日、世界史レベルで見てもインパクトのある出来事が3つも重なっているんです。

まずは16世紀、アメリカ大陸で栄えていたアステカ帝国が滅びた日。
次に20世紀、冷戦真っ只中のヨーロッパでベルリンが分断され始めた日。
そして、日本ではお盆の大事な行事「迎え火」が行われる日でもあります。

歴史マニアはもちろん、普段はニュースにあまり興味がない人でも「え、そんな背景があったの?」と話したくなるネタが満載。SNSのネタ帳にメモしておきたくなる日なんです。

歴史で知っておきたい3大出来事

■① アステカ帝国が終焉…1521年

1521年8月13日、スペインの征服者エルナン・コルテスがアステカ帝国の首都・テノチティトランを陥落させました。
テノチティトランは、当時としては驚くほど高度な都市計画を持つ大都市で、湖の上に築かれた幻想的な街。その美しさは、ヨーロッパの探検家たちを驚かせたと言われています。

しかし、スペイン軍は最新兵器と軍事戦術、さらには現地部族との同盟を駆使して攻め込みます。天然痘などの疫病もアステカ側に大打撃を与え、ついにこの日、帝国は崩壊しました。
この瞬間から、メキシコはスペイン植民地時代に突入。中南米の歴史は大きく方向転換します。


■② 東ドイツがベルリンを封鎖…1961年

1961年8月13日、冷戦下の東ドイツが突如、東西ベルリンを隔てる境界を有刺鉄線で封鎖しました。この日は「有刺鉄線の日」としても知られています。
当時、多くの東ドイツ市民が自由を求めて西ベルリンへ脱出しており、政府はこの流れを食い止めるために強硬手段に出たのです。

封鎖は夜中に行われ、人々が目覚めたときには街が分断されていました。翌日からは本格的な壁の建設が始まり、それは1989年のベルリンの壁崩壊まで続きます。
壁の存在は、単なる物理的な障壁ではなく、冷戦という時代そのものを象徴するものになりました。


■③ 日本では迎え火の日(お盆の月遅れ)

8月13日は、日本ではお盆のスタートを告げる「迎え火」の日です。本来は旧暦7月13日でしたが、明治の改暦で新暦8月13日に行う地域が増えました。

迎え火は、家の門前や庭でオガラ(麻の茎)を燃やして、その煙でご先祖様の霊をお迎えするという習慣。火は目印の役割を果たし、霊が迷わず帰ってこられるようにという願いが込められています。
都会では見られなくなった風景ですが、地方では今も温かく受け継がれています。


気になる疑問にもスッキリ回答

Q:なんで迎え火は8月13日なの?
A:明治時代に旧暦から新暦へと切り替わった際、旧暦7月13日が新暦では8月13日に相当したためです。農作業や気候の都合からも、この「月遅れ盆」が全国的に広まりました。

Q:「有刺鉄線の日」って壁より前のこと?
A:はい。8月13日はあくまで封鎖開始の日で、この時点では壁はありません。有刺鉄線と兵士が立ちはだかり、物理的に人の移動を遮断。その後、正式なコンクリートの壁建設に移行しました。


まとめ

8月13日は、歴史と文化が同時に語れる日。

  • アステカ帝国崩壊:文明史の大きな転換点

  • ベルリン封鎖開始:冷戦の象徴的出来事

  • 日本の迎え火:心をつなぐ夏の風習

この3つを知っておくだけで、雑談でもSNSでも「物知りキャラ」にランクアップ間違いなし。今日は少しだけ歴史に思いを馳せてみませんか?


参考・引用記事